HOME > 寄稿者一覧 > 田倉 智之 > 日本臨床麻酔学会誌(生産性)

寄稿一覧

診療ガイドラインにおける医療経済評価の考え方

地味な話題ですが、病院の臨床倫理委員として考えさせられることがあり、「医療倫理と医療経済」という軸で、医療経営の未来を切り取ってみました。下記の総説の抜粋にもあるとおり、「個人と集団」「臨床と経済」の対立の中、創薬開発や高額診療の進展には、診療ガイドラインと費用対効果評価の関係(融和)も重要になるようです。
● 総説:医療の費用対効果と日本の今後の医療:医療倫理や診療ガイドラインとの関係
リンク情報:https://doi.org/10.2530/jslsm.jslsm-46_0030

【総論】

先端治療を含む医療を取り巻く社会経済の環境は、世界的に厳しさが増してきており、医療経済にも配慮した診療への理解向上が全ての医療関係者に望まれている。医療システムの持続性などへ貢献する費用対効果評価は、診療需要の変遷を含む社会経済の動向から、将来において医療イノベーションが進むほど、その必要性は増すと想像される。一方で、医療経済評価の臨床や制度への導入には、幾つかの論点も存在する。すなわち、限られた医療資源の配分の議論などを背景に、「個人と社会」または「臨床と経済」の適切な“バランス(調和)”および医療価値の見える化が、医療の発展にとって重要になる。さらに、これらに関わる診療ガイドラインでも、社会的な進化の一部として今後、医療倫理と医療経済の関係を積極的に論じることが望まれる。

【各論】

〇各論1:医療倫理と社会経済を調和させる意義

医療倫理としては、一般に、自己決定の尊重(autonomy)、無危害(non-maleficence)、善行(beneficence)、公正(justice)の四原則が挙げられる。これは、トム・L・ビーチャムとジェイムズ・F・チルドレスが「生命医学倫理の諸原則」で提唱したもので、医療従事者が倫理的な問題に直面した時に、どのように解決すべきかを判断する指針となっている [42]。また、「患者の権利憲章(1991年、NHS憲章へ受け継がれる)」「ジュネーブ宣言(2017年)」などの一連の患者権利に関する宣言でも、医療自体への参加権利、最善の医療を受ける権利、公平な医療を受ける権利などが謡われている(図8)[43-45]。国内法規を眺めても、応召義務として医師法には正当事由内の診療義務項(公法上の義務範囲)が存在する。この基本的な倫理観に立てば、経済的な理由などで診療提供の可否を論じる余地は無いことになる。ただし、この権利を行使できるのは、健全な医療システムが存在することが前提となる。

つまり、社会経済的な要因により医療システム自体が棄損し、医療の安定供給が縮小・崩壊してしまえば、診療機会が失われて患者自身も不利益を受けることになる訳である [2]。そこで、医療倫理の解釈の一環として、広義の社会性(公益性)などとの調和(バランス)に関する議論が生じることになる。この視点から改めて医療倫理を切り取ると、「医師憲章(2002年)」の3原則・10項目の中の、社会正義(公正性)の原則、限られた医療資源の適正配置の責務、なども注目される [46]。さらに、Professional Autonomyに言及している「世界医師会宣言(旧WMAマドリッド宣言,1987年)」も重要である [47]。これらをやや拡大解釈をして整理すると、「目の前の患者」のみに医療資源を過剰に消費してしまい「次の患者」の治療機会(医療資源)がなくなってしまわないよう、医療者は適正な診療・看護に心がけるべきという指針が示されていると理解される [2]。すなわち、個人と社会の益は、この整理により等しい方向で論じられる。この論旨は、患者の権利を尊ぶ医療倫理においても、拠って立つ診療環境(インフラ)を支える社会の貢献も併せて考慮する必要性を示唆している。ちなみに、この観点を理論化する手段の一つとして、前述の価値観も包含する医療価値の評価アプローチが挙げられる。

次世代の患者も含む全世代の医療価値の最大化を目指す場合には、患者中心の医療が前提であるものの、患者(個人)と社会(公共)の立場の差異に配慮しつつ、持続的なシステムの設計が望まれる。実際、現行の制度や指針のなかには、診療選択に関する整理も散見される(例:経カテーテル大動脈弁置換術、不妊治療の年齢要件など)。以上から、個人と社会に対する価値増加(複合的な代理指標も含む)が期待できない場合には、臨床経済的な根拠(エビデンス)や合議(アプレイザル)に基づき、患者選択(適用対象)や診療選択(治療内容)の議論の余地も残されていると推察される(図9)。今後は、このような議論を積み重ねつつ、診療ガイドラインなどの中で医療経済のあり方が精査されることも望まれる。実際、Mindsでは資源消費に関わり、介入結果の差異のエビデンスに基づき推奨を“考慮”できるとしている [17]。また、費用対効果評価については、社会全体の立場のエビデンスを患者個人の立場の議論へ適用するのを制限しつつ、留意事項への記載や推奨の強さの決定項目の検討において、関わるエビデンスを“考慮”できるとしている。その記載方法には、効果が同等なケースを中心に、経済負担の小さい医療技術を優先、対象集団を選択・限定、使用や適用の順番を段階化、などが例示されている。ちなみに、この検討には益と害のバランスを軸に、患者・市民の価値観・希望、資源消費(提供体制など含む)についても配慮が必要である [48]。

なお、社会全体の裨益の視点を取り入れる場合には、例えばベンサムの功利主義の考え方(最大多数の最大幸福)などを短絡的に追及するのは避け、個人の権利や幸福、価値観の多様性にも留意する必要がある [49,50]。結局のところ、医の倫理とは、医療者が守るべき行動の(体系的な)規範や基準をさすが、これは、混乱や矛盾が生じた場合に専門家が参照できる一連の価値観から構成されていることも忘れてはいけない。

〇各論2:診療ガイドラインと医療経済評価のあり方

以上から繰り返しになるが、国民の公助・共助に基づく医療システムの中で医療倫理を考える場合に、患者個人の利益と社会集団の裨益のバランスにも配慮することは、実臨床においても意義があると示唆される。つまり、「個人と社会、臨床と経済のバランス」のあり様は、診療ガイドラインに対する医療経済評価の位置づけを考えるにあたっても重要になり、医療倫理や社会受容に対しても配慮が望まれる「推奨」との関わりも含め、古くて新しい論点と考えられる。

なお、バランスの分析手法の一翼を担う費用対効果分析は、エビデンスレベルを論じられないモデル/シミュレーション研究(CEBMやGRADEシステムなどによる)が多く、証明などを目指すよりも合意形成に比重を置いた活用になり、その取扱いの検討も望まれる [51-53]。また、その結果の判断についても、ICERの基準が疾患特性などを考慮せずに一律で良いのかどうかも含め、通常の臨床研究との差異に配慮が必要である。例えば、前掲の図4の「優位、劣位」象限は通常の整理とベクトルも同じだが、ケースの多くを占める「有効」象限の解釈は、前述の医療倫理や証明水準などの面から議論が残る。ただし、医療経済の評価自体は、倫理面や社会性、および一部の研究などの特異な手法・判断(モデル研究)、推奨への配慮は必要になるものの、診療ガイドラインの一般的な作成プロセスと大きな差異はない。実際、心臓リハビリテーションの費用対効果のメタ解析(単位:USドル/QALY)などは、領域を代表する米国心臓協会/心臓病学会などの慢性心不全の診療ガイドラインに引用されている(図10)[54,55]。仮に、医療倫理との整合性の面などから、診療ガイドラインの中で医療経済評価をもとに推奨する、または補助(考慮)にとどめるのも難しい場合は、相互に独立させて整備を進め、将来的にステートメント(解説)などにおいて補完しあうような枠組みも一考に値する。

ちなみに、診療ガイドラインにおける推奨などは、専門家集団のコンセンサス(集大成)と考えられるため、引用する研究報告のエビデンスレベルは、その証明力が一定の水準にあることが合意形成の面からも望まれる。そのため、医学分野の学際コミュニティは、客観性や代表性、頑健性、再現性などの科学的な妥当性を追求してきた歴史的な背景がある(根拠に基づく医療)。一方で、実臨床の場では、エビデンスの構築自体が困難なものも多数あり、関係者の経験則などから当該領域のコンセンサスを形成している診療も数多く存在する。最近は、統計学上の有意差だけではなく、試験条件や臨床実態も勘案した判断も散見する(例:Minimal Clinical Important Difference, GRADEシステムなど) [53]。診療ガイドラインにおける推奨自体もエビデンスレベルのみに拘る必要もないという見解 [56、57]もあり、これらを考慮するならば、一定の合理的な説明力を担保できる場合は、シミュレーション研究を有効活用する余地もあると推察される。ただし、診療ガイドライン自体は、臨床現場のみならず医療保険や医療訴訟など、社会全般で幅広く応用されている。説明力の重要性が増すこの実態に配慮するならば、今後のコンセンサス形成においては、社会面などの学界外の視点をさらに取り入れる、またはより慎重にエビデンスレベルを重視する、という発想も想像される(図11)。

なお、資源消費の議論においては、安定供給の観点などから診療報酬上の負担のみならず、実際の医療原価についても配慮が望まれる。また、診療領域の特性によっては、費用対効果評価の比較対照の幅が広く診療の機序(段階や併用など)が複雑な実態も想像される。その場合、クリニカルクエスチョン(CQ)などの立て方にもよるが、用いるエビデンスに対しては、使用実態(割合)や患者の各負担感、評価指標の特性などの要素について、より総合的な目線による議論が期待される。いずれにせよ、正味のアウトカムの確実性を論じ、推奨の根拠を合理的に説明できるのが肝と理解される。

以上

(出典)田倉智之.医療の費用対効果と日本の今後の医療:医療倫理や診療ガイドラインとの関係.日本レーザー医学会誌.2025年12月.DOI:10.2530/jslsm.jslsm-46_0030

※ご覧の際は、左記の寄稿一覧よりPDFタイトルを選択してください。